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- 8746 2007/03/12 00:33:42 KOJI KATO 横濱にて 1926年春
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巴里華撃団の隊長に就任すべく、日本を発った大神一郎。
大神一郎が巴里へ赴いたのは1926年の春。
当時、横浜から出ていた欧州航路の船は、フランス・マルセイユまで40日ほどかかったといいます。
そうなると、大神が横浜を発ったのは今くらいの時期ではないだろうか?
そんな事を思い、先日、横浜の港を訪ねてきました。
欧州航路の船は、横浜港大桟橋から出ていました。今その桟橋にある建物は、当時とは違うものの、桟橋の位置は当時と変わっていません。
大桟橋の西側にある新港埠頭からは、主にシアトル・サンフランシスコなどへ向かう北米航路の船が発着していました。
そのすぐそばには、現在、赤レンガ倉庫を改築したショッピング・レストラン街があります。二棟残るこの倉庫、完成したのは、1911年と13年だとか。
大神一郎が客船の甲板に上がり、離れ行く横浜港を見渡した時、その視線の先には、この赤レンガ倉庫の姿もあったのかもしれません。
40日も掛けて向かう異国の地。その地で待っている大任。
緊張と興奮、喜びと一抹の不安・・・でもその不安は、かえって大神の心を、より駆り立てたことでしょう。
その海の遙か向こう側の巴里で、グリシーヌ達は暮らしている。その先の出会いのことなど、知る由もなく。
21世紀の横浜の港で、1920年代の欧州航路の船出を感じていました。
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